2000 GRAND SLAM 4

開催日:2000/11/12
開催場所:筑波サーキット
天気:曇り
気温:最高13℃

 

この日の目的は一国レーシングの若旦那(三代目)とチーム・プレインの「関やん」こと関口氏の2名がスポーツスターカップ(SSC)のオープンクラスに出場するので、どちらかに表彰台に上がってもらいシャンパンを味わうことを目的としていた。

そのため、朝4時起きで車で筑波に向かった。

谷和原ICを下りて、裏道沿いにあるセブンイレブン待ち合わせということだったが、同乗していた真澄ちゃんもキモト氏も記憶が定かでない。

最新ナビで検索するも全然わからず、迷子になってしまった。

まだ夜が明けきらない筑波地方の「田んぼ」の中で携帯電話で連絡をとった。

田舎道は目印が乏しいので苦労したが、何とか合流して筑波サーキットに到着した。

 

以前このような草レースに来た時は、プレインの大きなテントが一等地に用意されていたのに、今回は寂しい小さいテント一つで、バイク2台を収めて一杯だった。

もし、雨が降ってきたらもっと寂しいことになる。などと考えながら、荷物を下ろし準備に取り掛かった。

本来、今日のレースに参加するはずだった、真澄ちゃんはいろいろな理由から延期した。

このいろいろな理由とは帰り道に聞くことになる。

しかし、後輩のM900にのるキモト氏は私にこう訴えていた。

「タマルさんに言ってやってくださいよ!(今回のレース不参加の件)本当に根性無しなんだから、、、。こんどはモンスターで箱根でぶっちぎってやる!」

 

一方ピットでは、タイヤを綺麗にしてタイヤウォーマーを装着し、後は予選を待つだけだった。SSCオープンクラスの予選はAM950からで、前のほうに陣取った関口氏と若旦那はピットロードから快調に出て行った。

ピット上から二人の走りを見ていると、関口氏が快調に数台をパスしている姿が目に付いた。「のってる!?」と思わせるその走りはチームメイトの若旦那を凌いでいた。

予選結果はやはり関口氏10番(1’9.710)、若旦那12番(1’10.249)とまずまずの位置を確保した。これまで1’10を切ったことが無い若旦那にとっては精一杯だった。

予選後の関口氏はやはり上機嫌で、数台パスしたことに対する意見を聞くと、

「たまたま、遅い奴らが前にいただけさ!」と絶口調だった。

そのとき、それを聞いていた真澄ちゃんは「俺だったら最低でも7秒台だな!するとセカンドローは確保できている」という表情をしていた。

 

出場台数24台、10週で行われる決勝レースは1405スタートとなった。

シグナルが青に変わると同時にベンジョンソン(古い?)のようなロケットスタートをきめたのはゼッケン79、予選10番手の関口選手だった。

ピットの上から見えるのは、第一コーナーからS字コーナーまでなので、そこまで見送り、メインストレートで彼らを待った。

すると、関口氏5番、若旦那8番とまずまずのオープニングラップだった。

頭にシャンパンがよぎったのは、タバコを吸いながら応援していた私だけではない。

周回を重ねる周回を重ねるごとに関口さんが抜かれ始め、中盤には若旦那の前まで落ちていた。しかし、78番なので十分期待できる順位であった。

しかし、その後も二人でまとめて抜かれ始め1112番まで順位を落として最終ラップとなった。

若旦那は国際A級ライダーがよくする「第一コーナー入り口でインに鋭く切り込んでパスする」ということを意識して、中盤では何度か試みていた。しかし、アウトからかぶせられてうまくいかず、あきらめてアウトから入るとインを差される。という展開で順位を落としていった。

最終ラップに向かう若旦那にチームオーダー解除のサインが出された。

そして最終ラップの裏ストレートで、関口氏に笑顔で手を振りながら追い抜き最終コーナーへと向かった。

そしてそのままチェッカーとなり、若旦那はチームメイト関口氏をかわし、自己最高の1’9.086をこの最終ラップにマークして終了した。

予選終了時と相反して関口氏は荒れていた。

「抜いていく奴らは全部BUELLなんだよ!そして最後があいつとは、、、!」

 

SSCだけではなく他のレースでも見ものがあった。

HUGE-1クラスである。予選1番のケンツの隼にZX12RVTR1000SPそしてMVアグスタF4などが追いすがる展開で上位6人はすべて国際A級ライダーで草レーサーとは腕が段違いだった。

12秒台の争いはそれまでののどかな雰囲気を吹っ飛ばす迫力で観客を引き付けた。

中でも、後半追い上げたF4ZX12Rをかわし、2位を走行するVTR1000SPと繰り広げたバトルは見ごたえがあった。結局ケンツ隼が優勝し、2位にはVTR1000SP鼻差でF4という結果だった。

 

モディファイツイン(MT)クラスはいつもはVTRDUCATIという構図でDUCATIが勝つという展開だったような気がするが今回は違った。

優勝はVTR1000SPだったが、3位はSV650だった。DUCATI748が辛うじて入賞するに留まった。

 

夕方500近くなり、夜の帳が落ちてきた頃に筑波を出発した。

早朝から起きていた為、睡魔が襲ってきた。

助手席の真澄ちゃんは今回のレースへの不参加の真意をしゃべり始めた。

■■■ 「真澄ちゃん」SSCレーサーへの道 第一弾 ■■■

2ストエンジンの草レーサーとして優勝を始め表彰台を何回も経験している真澄ちゃんには腕に自身があった。

これまでも、箱根を中心に峠をを攻めまくり、スポーツスターのノーマル仕様で国産レーサーレプリカのライダーを獲物にしていた。

一国オートの客の中でも、幻のレーサー・アンザイさん(BMW K100)に勝るとも劣らない走り屋としてのプライドがあった。

その自信が崩れかけたのが、滋賀高原ツーリング(2000/10/8-9のツーレポ参照)の時だった。いつものようにカッ飛ぶ真澄ちゃんに一人の刺客が登場した。トヨダ氏である。TDM850のトヨダ氏とバトルを展開して警察に捕まったあの時に、久しぶりに「怖い」と思ったのである。バイクに乗り始めは結構「怖い」という思いをしながら成長していくものだが、真澄ちゃんは走りを知り尽くしていると自負していたが、トヨダ氏がそれを教えてくれた。

そして、筑波での練習走行で真澄ちゃんはズタズタに切り裂かれてしまった。

それは、自分のBUELL M2がスポーツスターに抜かれてしまったのである。

筑波を知り尽くした俺様がBUELLに乗っているのに、パワー的には完全にランク下のスポーツスターに抜かれたことに大変大きなショックを受けた。

ブレーキの性能やベルトドライブなどの不利な条件はあるものの、真澄ちゃんは次元の違いを感じたという。

その日から、マスターベーションも手につかないほど落ち込んでしまった。

これまで、「格下のマシンを腕でカバーして格上のマシンを食う」

この真澄ちゃんの信条とまったく逆のケースを体験してしまったのだ。

このような経験を積み精神的にも一回り大きくなって、来年はSSCにデビューするレーサー真澄ちゃんの活躍を期待したい。

婚約を発表したアオヤマさんはこれを読み、「男の一番の幸せは結婚なんだよ〜」とつぶやいているに違いない。

 

半分居眠りをしながらそんな話を聞きながら、八潮を先頭に19km渋滞する常磐道を横浜目指してひた走った。

一国オートに着いたのが、19:50.荷物を下ろしそそくさと家路に着いた。

家に着き、シャワーを浴びて着替え終わったら、20:30になっていた。

あわてて、髪の毛をセットし、ヒゲを整え、香水を降りかけて、六本木に向かった。

ロアビルの向かいにあるジャズハウス「Second House」に到着したのは、ステージがすでに始まっている21:10.

ビールを飲みながら心地よいジャズを聞き、程よい疲れを癒している間に22:30になっていた。

今日の構成は女性のボーカル・サックス2人・ピアノ・ギターそしてウッドベースは今度ハーレーを買いたがっているメガライドの準会員平井さんだった。

 

写真集