レースレポート
大会名:トランスエコー2001
開催日:2001年5月6日(日曜日)
天気:晴れ
観衆:いっぱい
昨年11月にレポートしたグランドスラム4に引き続いてレースシリーズ第2弾「トランスエコー2001」はゴールデンウィークの最終日という迷惑な日程で開催された。本来は、GWの翌週の週末に開催されていたが、筑波サーキットでは、全日本ロードレースが入ったために繰り上げられGWになった。そのため地方からの遠征組がかなり減ってしまったと「関やん」ことレーサー関口氏が言っていた。
トランスエコーはスポーツスターカップ(883・OPEN)だけではなく、「何でもあり」のHUGE1クラスやスーパーモタードクラスやACT(空冷2気筒)クラスなど様々なカテゴリーがあり、とても面白いレースである。
今回はバイク仲間であるTEAM PLAINの藤原氏(SSC 883クラス)、関やん(SSC OPEN)そして一国レーシングの豊田氏(ACTクラス)の3名に密着取材した。
■藤原選手(TEAM PLAIN Sportster883)
Megaraideのツーレポにもしばしば登場する「クレージー フジワラ」こと藤原氏はハーレージャパンの社員である。筑波サーキットを883で10秒を切ったらOPENクラスへステップアップすると言っていたが、予選からぶちきれた走りで10秒台をマークし、予選6番手。電光掲示板にも「21」のゼッケンが表示され上機嫌だった。しかし、空気圧チェックを怠り、かなり高めのセッティングだったことに気付き冷や汗をかいていた。
決勝レースでは、スタートにもたつき10番手まで順位を下げるが、その後の着実な追い上げで7番手まで順位を上げた。前回ならば後半に抜かれるような場面もあったため、心配されたが、追いつかれるどころか引き離し気味にレースを進めていたが、後方のゼッケン88の黒いライダーが1秒くらいづつ間を詰めラストラップでは0.5秒まで近づいていた。前を走行していたライダーが転倒したため、このまま逃げ切れれば念願の6位入賞=表彰台。本人は後ろに気付いていたかどうかは知らないが、応援席の我々はどきどきしながら観戦していた。
結果、無事逃げ切り入賞!幸先の良いスタートとなった。
おおはしゃぎの藤原氏はいつもなら、レースが終わると帰り支度をはじめるのに、今回は最後の表彰式まできっちり参加(体育座り)し、まじめなレーサーを気取っていた。彼にとって、記念すべき日になったことだろう。
■豊田選手(一国レーシング BUELL M2Cyclone)
この選手は本来国際A級クラスの腕を持ちながら、草レースに徹するいわゆる「職業レーサー」的要素の強いそして早いライダーである。当ツーレポでも昨年の長野ツーリングでの模様をレポートしたが、「本物」である。いつもは一国レーシングとして若旦那(3代目)がレースに参加していたが、今回はこの大物ライダーを持ってきて、「一国レーシング」のPRに力を入れてきた。
BUELLで出場するなら普通はスポーツスターカップ(SSC)のOPENクラスとういのが定石だが、今回は空冷2気筒(ACT)クラスへのエントリーという無謀な選択をしていた。ACTクラスといえばDUCATI SS900の牙城である。その牙城を崩す可能性を秘めたライダー「豊田選手」に期待は高まった。
しかし、数日前の練習でピストンが粉々になってしまい、急遽店にあったスポーツスター用のライトニングヘッドを加工して取り付けてレースに間に合わせた。慣らしも無しの状態で、若旦那曰く「ガラスのエンジン」で果たしてもつのだろうか?
一抹の不安を抱えた状態でのレース参加となった。
予選では5秒フラットとすごいタイムを出し、予選8番手をゲットしたが、予選を終えてバイクをチェックしてみると、オイルが噴出しており、しかもそれがリアタイヤを濡らしていた。
豊田選手は「最終コーナーでリアがズルズルとすべるんだよ! そんなにパワーのあるバイクでも無いのに、、、。」
それは、オイルがタイヤを濡らしていたのではあたりまえのことだが、平然と言ってる豊田選手を恐ろしく感じた。
ここからがマスター オブ テクノロジーの称号を持つ、一国オート 3代目 梅ちゃんこと梅島国彦の腕の見せ所となった。
いち早くオイルの漏れている場所を発見し、バイクをばらし始めた。傍らにはガスケットのセットも用意されており、「エンジンもばらすの?」という勢いだったが、エンジンはばらさずに済んだ。
普通は草レースでエンジントラブルがあったら、素直にリタイヤというのがあたりまえだが、若旦那の師匠であるプレインの三浦先生の教えが効いていた。
「何をしても必ず走らせるのがメカニックです」そう言い放った若旦那だった。
決勝レースはスタートした。
第一ヘヤピンのところで見ていた私は、何番で第一コーナーを抜けてくるか?息を呑んでみていると、4番手で豊田選手はやってきた。
上位3台はDUCATI2台とBMW R1100Sだった。周回を重ねるごとに1・2位のDUCATI対BMWの一騎打ち以外は序々に差は広がりそのままフィニッシュとなった。
豊田選手も下の5位のライダーに大差をつけて危なげない4位入賞を果たした。ガラスのエンジンでのこの結果は殊勲賞と言えるが、本人は納得が出来ない様子でふてくされていた。
しかし、ACTの表彰台にしかも4位にBUELL M2 Cycloneが上がれたことには、大変大きな意義があった。しかも、優勝はBMW R1100Sである。「敵の敵は見方」という方程式に当てはめれば同志BMWとBUELLでDUCATIの牙城は崩したと言っても過言ではないだろう。
喜びもつかの間に豊田選手は次回のレースに向けて、ノーマルの前後サスペンションをオーリンズに変更することと、ブレーキを強化することでさらに上位を狙えることを確信していた。
最後に、メカニックとして若旦那はワイセコのピストンなど念入りにくみ上げ慣らしをした最初のエンジンでは壊れてしまったが、急遽仕上げたライトニングヘッドでは無事完走できたことに対する寂しさは残っており、次回のレースに向けて更なる飛躍を遂げることだろう。
■関口選手(TEAM PLAIN Sportster XL1200S)
関やんは人生をバイクと共に過ごしている生かしたバイク野郎である。
スポーツスターカップのOPENクラスではめっきりとスポーツスターが減り、BUELLの選手だらけの中、あえてスポーツスターでレースに挑む姿はある種の共感を覚える。
数少ないスポーツスターもいまや前19インチ、後16インチのノーマル状態でレースに参加しているのは関やんだけである。これで、9秒台で走るのだから大した「おじさん」である。
予選は12番手だったが、決勝ではいつものようにロケットスタートを決めて第一コーナーでは8位、S字を抜けて団子状態の第一ヘヤピンでは2台交わし6位につけた。
「ヘヤピンの魔術師」と自称するだけあって、楽しんでいるようにさえ見える。
圧倒的なパワーの差があるBUELLに直線で交わされつづけて終わってみると10位完走。
お疲れ様でやんした。
□総評
朝4時起きして、筑波サーキットに出向き家に着いたのが21:30。一日中サーキットに居たが今回は寝る暇がないほど面白かった。
知人が3つのクラスに出ていることもあるが、MV AGSTAやAPRILIAなどの台数が大幅に増え、熟成を高めつつある。MT(モディファイド ツイン)クラスではVTRがまたもや優勝し、DUCATIは過去のバイクになりつつある。ハーレーのように大昔のバイクになれば、また味が出てくるのかも知れない。
また、昼前にBMW R1100LT+フルパニアケースで会場を訪れた平忠彦氏は浜松から例によって自走してきて、昼のイベント MV AGSTA F4のデモランに登場していたが、あのおしゃれな平レプリカのヘルメット(本人だからレプリカでは無いけれど)のセンターの太い赤のラインが蛍光オレンジに変わっていた。大きな声では言えないが「いまいち」だったが、かつて映画の「汚れた英雄」で主人公 北野晶雄(草刈正男)の影武者としてゼッケン64で走っていたころ、エキストラとして宮城の菅生サーキットで見た時以来、20年ぶりに生の平氏を見た。
●写真集