ほろ酔い
- くれ〜じ -
いいかげん酔っ払って店を出たのは朝4時ごろだった。馬鹿話で盛上がって調子コイてる内に正体を無くすといういつものパターンである。今日も相変わらずTみちゃんは可愛かったナ♪...空は、夜の色を次第に薄れさせ始める。会社に戻り、駐車場から愛車を引っ張り出す頃には、朝の気配はもうすぐそこまで迫っていた。
ただ、昨日まで続いていた熱帯夜の眠る事さえも許さない暑さは不思議と感じられない。湿気だけはいつものように重く漂っているが、風は涼しく、なんとも微妙な空気のバランスだ。
それに、こんな空の色は初めてだゼ。
暗い空が、床に置いた間接照明に下から照らされるように、少しず、深いけれど限りなく透明度の高い紫色に変わって行く。海側の空に、同じく下から薄い光に照らされた、薄桃色の雲が少しずつ姿を現す。陽はまだその欠片すらも姿を見せていない。
南回帰線から徐々に北回帰線に向かって登ってきた太陽が、夏のピークを迎え、再び進路を南に変え、季節は秋、そして冬に向かって降りて行く。正にその折り返し点に居合わせた様な気がした。
でも、湿気と空気のニオイは確実に「今日も死ぬほど暑くなるゼ、覚悟しとけよ」と知らせている。東の方から背後にその気配を感じる...
「西へ...」
誰かがそう囁いた。
本来右折すべき目黒通りをやり過ごし、早朝でクルマも疎らなR1を、西に向かって直進する。
昇る朝日との追いかけっコ。この夏最初の僕の無駄な抵抗は始まった。
1分、1秒でもこの貴重な瞬間の空の色を眺め続けていたいがためなのか、それとも背後から迫る熱波と強烈な夏の日差しから逃れる為なのか?
「どっちでもいいや、面倒臭ぇ!」
思考を振切るように、スロットルを開ける。意識的に「開ける」と言うよりは、何かに突き動かされて、自分の意志とはかけ離れたところで開けているといった方が正しい。左足はまた、狙いすましたように耳に入るエンジン音がピーク域に達するのを逃さず、シフトアップを繰り返す。耳はただの集音器と化し、目はただ空間に向けられたレンズ。障害物が現れると脳を介す事無く勝手に身体を操って回避し、時折レブカウンタの赤いLEDの数を数えていた...左手はただお行儀良くハンドルに添えられたままひたすらじっとしている。まるで右手首と左足首だけが別の生き物のようだ。
空冷2気筒1450ccのエンジンは淀み無く一気に5500回転まで吹け上がり、不等間爆発が、タイヤを介して確実に路面を捉え、黒い車体を前へ押し進めて行く。
夜は次第に西の空へと逃げて行く。紫色の幻想的な空から星の跡がだんだん薄れて行き、やがてはあの白い月も見えなくなってしまうのだろう。まだ光りは差して来ない。雲の廻りが仄かにオレンジ色に色付き始める頃、横浜を通過した。
T-シャツを通して入ってくる風はまだひんやりしている。いつしか脳は考える事を止め、僕はただブリヂストンBT39が捉える路面のグリップをケツの下に感じながら、ひたすら車体を前に動かしつづける事に夢中になっていた。
道はやがてR1を離れ、海沿いのR134へと向かう。湘南海岸に差し掛かる頃には空は随分明るくなって来ていた。
オレンジ色徐々色濃く空を占領し始め、間もなく太陽が水平線に頭を出すであろうことを知らせる。やがて次第にオレンジ色は薄れ、そして急に光線は強くなり、無色な自然光に姿を変える。
「クソッ!ここまでか...」
大磯の手前辺りでとうとう捕まってしまった。剥き出しの首と上腕に、後ろから夏の朝日が容赦無く照りつける。西湘バイパスに入り、まるで降参を宣言するように、制限速度で軽〜く流す。青い海に白い波頭が眩しい。湿気が日差しどんどん吸収し、強く塩分を含んだ海辺の夏の空気が、急激に温度を上げて行く。エアコン付のクルマの中じゃ感じる事の出来ない空気の動き...空はいつのまにか、いつもの真っ青な空に白い雲。つい数分前まで続いていた光のショウが嘘だったかのように、ただひたすら青く、高く、そして熱い。西湘パーキングエリアに入り、自動販売機で熱いコーヒーを買う。煙草と熱とカフェインの刺激で、アルコールで麻痺した胃袋を覚醒させる。
「あちぃなぁ、今日も...」
遠くに見える大磯の海水浴場に人が集まり始めている。額に汗が滲み始め、体内のアルコールがジャンジャン蒸発し始めるころ、なんだかわかんないけど急に楽しくなって、でも人目があるから声に出しては笑えず、1人でニヤニヤしてしまった。
久しぶりに「オートバイに乗ったナ」という満足感を感じていた。そう言えば高校生のころ、初めて原チャリに乗って、飛躍的に広がった行動範囲がひたすらに嬉しかったっけ。今迄敷かれたレールの上を走る窓から見て来た以外の風景、自由な速度感、箱の中では感じられない空気。雨、風、...スケジュールなんて無い気ままな旅...物理で習った摩擦係数は、スリップダウンしてみて始めて日常の現実として理解される。そんな事から人間の力ではどうにもならない自然の力の壮大さを教えてもらって来た。
「気分が良かったんで、カッ飛んでたら小田原の近くまで来ちゃいました」
ケイタイからTみちゃんにメールして、ヘルメットとグローブを着けた。
小田原でバイパスを降り、またR1に出て、今度は東に向かって走り始めた。
世の中はすっかり朝になってて、クルマの量が少しずつ増えてくる。
右に左にクルマを避けながら、なるべく信号に引っ掛からない様に加速したり、減速したり...なんでって信号で止まったら眠ってしまうから。酔いは覚めても絶対的な睡眠不足だけは如何ともし難いものがある。クラッチ握ったまま信号待ちしてたらいつのまにか落ちてて、車体がス〜ッと数十センチ前に進んむ。ハッとして目が醒めて...なんてことを5回ぐらい経験してからなこの「なるべく止まんないゲーム」を考案した。
週末の素人ドライバー達の無謀な運転の合間を、ドアを蹴飛ばしながらすり抜けて、
都内に入る頃にはもうすっかり陽は高く昇り、顔が高い部分からジリジリ焼かれて行くのがよくわかる。来週は夏休みだ。今年は久しぶりに日焼でもしてみようか。
山手通りを折れ、部屋へ帰る午前8時20分、かくして僕の理由無き無駄な抵抗は幕を閉じた。Tみちゃんから着信1件。留守録ナシ。嫌な予感...恐る恐る電話してみると案の定、
「ナぁんでそういう、人に心配かけるようなアブナイコト$%#)~$&!#=#%xxx(#$Q!=($%!#%&&#$*#$=!!!」 電話20cmくらい離しても聞こえるもんね、おっかねぇ。
ハイ、全て私が悪うございました。ごめんなさい。
でもね、オートバイってのはそういう時の為にある乗り物なんだよ、きっと...
って、そんな言い訳、通る訳ねぇよなぁ...