アッパー 入間

そう言えば、あまりツーリング記を投稿した事が無いような気がする。街乗りの話ばっかりで、コイツ実は通勤以外にバイクに乗ってないんじゃないかと思われるのも癪なので、というわけでもないが...
これでも少々前までは、峠小僧の残党みたいなもんだった。そんな血が騒いでかどうかは定かではないが、久々に平日に休みが取れたので、1人で山道を攻めに行ってきた。

話は突然変わるが、ラリー カールトンの曲で、「アッパー カーン(カーン川上流)」というのがある。「ストライクス トワイス」というアルバムに収められた名曲で、躍動感溢れるテーマが「カーン川上流」というタイトルともあいまって、旅心をそそるというか...当時高校生だった僕は、この曲をいつの間にかまだ見ぬ土地へ誘うテーマ曲のように聴いていた。
で、少々のコジツケ感は否めないものの、今回の目的地は入間川上流である。


前日までの悪天候が嘘のように晴れ渡っていた。9時過ぎに目覚め、洗濯その他諸々の休日行事を手早く済ませ、11時ごろ、愛車Blackyで出発した。

環7通りを北上し、R20を西へ向かう。仙川のあたりで右折して住宅地をすり抜け、通称30m道路を左へ。新小金井街道を北上すると、以前住んでいた小平はもうすぐそこだ。懐かしい景色を一つ一つ確認しながら小平霊園の脇から新青梅街道に出る。広い道幅を全て使って、右から左からクルマの流れをやり過ごしながら、瑞穂へ。横田エア・ベースの広大な敷地の突端を左に見やりながら、R16号旧道に入る。ガソリンを補給し、ものの数百メートルでR16とはオサラバ。左側の住宅街を抜けて、坂を登りきると、突然穏やかな傾斜の丘陵地帯が目の前に広がる。
ここは茶所狭山。左右に広がる茶畑の間を縫って、道はRの大きなS字の高速コーナーを描きながら、緩やかにアップ&ダウンを繰り返す。ここにサーキット作ったら、さしずめドニントン パークみたいなのが出来上がるんだろうな...
古い家並みが目に付き始める頃、道は入間川を渡り、飯能の市街地に入って行く。マイナーな地方都市ではあるが、街の中心部はビルが建ち並び、交通量は多い。街の中心部から、生命線であるR299へ入るという手もあるのだが、敢えて賑やかな通りを避け、外側のラインに沿って左回りに市街地の西側に迂回して行くと、西へ向かう細い街道に行き着く。飯能名栗線である。自然の造詣のままに敷かれたこの街道は、細いながらもダイナミックなラインを描き、中高速クルージングが楽しい。それも名栗村に差し掛かる頃になると、道幅は更に狭くなり、コーナーも急さ加減を増して、やがて山道への突入が近い事を知らせる。気温も、いつの間にか自分が高いところへ昇ってきている事を教えてくれる。

いつしか空は重苦しい雲に覆われ、山地特有の「心変り」の様相を呈していた。
R299にワープするには、名栗村の奥の方で右側にそびえる峠を越えればいい。車がやっとすれ違えるかどうかの急な峠道を、先ずは軽くウォームアップがてらに攻める。平日のせいか殆ど車にも出会わず、ひたすら迫り来るブラインドコーナーに集中する。道幅が狭いので、そうそう大胆なラインは取れない。常にブラインドの向こうのイン側に神経を集中しながら、立ち上り重視のラインをトレースする。R299はクールダウンラップ代わり。車の流れに乗って、景色なんぞを楽しみながらゆっくり秩父の街へと向かう。

行逢う看板に「武甲」という文字が目立ち始めると、左手に突如として白い岩肌を露わにした山が姿を現す。何度も見て知っている山だが、名前は知らない。ただ、山が昔はもっともっと大きく、著名な秩父セメントの採掘の為に今ある姿までに削り取られ続けてきた事だけははっきりとわかっている。
国道が秩父の街に差し掛かるとすぐに、右側に「武甲の湯」の看板。丸山鉱泉の入り口だ。小さな「温泉場」の脇を、山へと昇って行くその道が、目指す林道丸山線である。

緩やかに上り始めた林道は、段々とその傾斜を増して行き、やがて道の両側を覆い尽くす杉林の中へと進んで行く。下枝をきれいに取り払われた、直径30cm程の杉の木の群れ。伐採され出荷されるにはまだ10の単位の年月を経ねばならない筈だ。それでも高さはかなりなもので、林道はそのお陰で真夏の昼間でも薄暗く、ヒンヤリしている。右へ左へと車体を傾けていると、右側に黒い大きな穴が突然姿を現す。なんのことはない、たまたま杉の木の間隔が広くなっているところがあっただけ。でも、そこはプロ達が仕事に使う道。ガードレールなんてヤワな設備は存在しない。スリップ一発で、ポッカリ口を広げた黒いその穴に呑み込まれる事だって容易に想像できる。なかなかスリリングなパートである。
そんなライダーの心境を知ってか知らずか、プロフェッショナルな林道はただひたすら標高を上げて行く。

大野峠とそれに続く比較的道幅の広い区間を過ぎると、急に路面の汚れが激しくなってきた。山に雨が降ると、大地は草木の力を借りて目一杯水を吸い込み、それが飽和状態に達すると、水は所かまわず滲み出て、重力の法則に則って流れ、集まり、別れ、そしてまた集まり、川となる。林道を切り開き進入してきた人間の思惑など、この自然を前にしては無力だ。路面は昨日までの悪天候で流れ出した泥に覆われ、タイヤのグリップを脅かす。おまけに山では既に秋が深まりつつあり、紅葉を始めた木々が落とす落ち葉が、水分をタップリ含んだまま路面のあちこちに張り付いている。連なる峠の、昇ってきたのとは反対側の尾根の北側の斜面だけに、路面の乾きも遅い。大きく重いBlackyには少々荷が重くなって来る。
深いバンク角を取る事は避け、汚れの少ない路面を選びながら、ハーフスロットルをあててコーナーをクリアして行くと、突然視界が開け、北側の平野が一望のもととなる。刈場坂峠。恐らくここがこの辺では最も標高が高いと記憶しているが、定かではない。R299から「刈場坂」と呼ばれる峠道を一気に上ってきても到達する事の出来るこの峠は、切通しのようになっていて風の抜けが良いため、天気の悪い今日の様な日にはなおさら寒く感じられるせいもあるのだろう。

ここからだと思うが、道は「奥武蔵グリーンライン」とその名を変え、次第に下って行く。尾根の北側に沿って右へ左へS時コーナーが連続する区間だ。急なヘアピンコーナーこそ少ないが、切り返しで抜重するタイミングで道路の中央に吹き溜められた落ち葉や埃に足をとられると、あっけなく転倒する。以前、カワサキのZZR1100でこの罠にまんまとはまり、ライディングポジションの姿勢のまま路面に転がったことがある。幸いその時は逆ルートを走っていたため、マシンは滑って行った先の尾根側の土手にタイヤから衝突して止まった。反対向きだったら間違いなく崖下に転落していた事だろう。

路面の荒れは、ますます酷くなり、緊張と寒さで身体の動きが鈍ってくるのが解る。ブラインドの下りコーナーなどは本当に冷や汗ものだ。この辺りはハイキングコースとしても有名らしく。立ち上がったとおもったら、急に山歩きルックのオバチャン達に出くわしてハッとさせられる、なんてことも起こる。暫くの間、ハーフスロットル・ハーフブレーキで車重のもたらす慣性力と戦いながらの我慢のライディングが続く...

顔振峠の集落は、そんな北側の道が尾根を回り込んだ先の南斜面にあり、ハイカーや山菜取りに訪れる人々の休憩地点である。他の峠や展望台の売店や休息所が店を閉めて行く中、この集落だけは蕎麦屋が数件ならび、商いを続けている。
冨士見茶屋。初めてここを訪れたのは、通称「ロケットおじさん」と呼ばれていた飛ばし屋の先輩に連れられて、群馬県方面にツーリングに行った帰り道だった。朝から出掛けて休む間もなく峠から峠へと連れ回されクタクタになって、最後に「もう一山攻めるか」の一言で、今走ってきたルートに足を踏み入れる事になった。疲れた体には、まるでラグーナ・セカのコークスクリューコーナー100連発のシゴキの様に感じられたものだった。そんな時に休憩で立ち寄ったこの店で食べた蕎麦の味が忘れられず、それから最低でも月に2度はこの峠道で汗を流し、この店に寄って蕎麦を食す、というのが習慣になった。正月明けの積雪の合間を縫ってまで通いつめたっけ...お店の詳細は、最近ホームページを立ち上げられたとのことなので、
http://www.d9.dion.ne.jp/~jun1ka10/
に譲る。
通っていた頃は、改装前で、調度品類も古く、屋外のテーブルに至っては、送電線かなにかのリールの芯をテーブル代わりに置いたもので、なんとも素朴で、でもなんとなく暖かい趣があって...そんなお店だった。冬でもざる蕎麦しか出さない。大盛りの蕎麦に、味噌田楽。寒い日はその後に大きな焼き餅を浮かべたお汁粉で暖をとる。これが僕の定番メニューだった。

厨房のおばさんは、最後に会ったのはもう5〜6年前だと思うが、変わる事のない優しい笑顔で接してくれた。恐らく覚えてはいらっしゃらないだろうが...
蕎麦を食い、デザートにお汁粉を頼んで、冷えた身体を暖めた。
改装して綺麗になった店の中をアチコチきょろきょろと見回しながら食べる僕が、さぞかし不審に見えたのだろう。おばさんは、大きなよもぎ大福をひとつ、笑いながら出してくれた。
あんがタップリ入り、よもぎの葉の食感がしっかりと味わえる、都会ではまず出会う事が出来ないであろう、これぞよもぎ大福と言った立派な大福だった。決して甘すぎず、昔乍らの製法を頑固に守った職人芸。和菓子は嫌いな方ではないが、飾らないおいしさがなんとも嬉しかった。

店からの眺めがまたなんとも言えず幻想的で、よく言うところの「雲海」という言葉の「雲」を「山」に置き換えたとでも表現するのが最も適しているのではないかと思う。山々の頂が、幾重にも幾重にも、視界の果てまで連なり続いている。

懐かしの定番メニューと「山海」の眺めを堪能し、冨士見茶屋を後にした。
南側の斜面は、ほぼドライ状態。久々に五感に伝わる路面の感触を楽しみながら、一気に峠を下る。本当は途中で更に左に折れ、鎌北湖へ抜けるワインディングも攻めたいところだったが、陽のある内に帰りたかったので、断念する。なに、また来ればいいサ。
R299へ出て飯能へ戻り、来た道を引き返すことにした。


「昨日、5〜6年ぶりに寄らせていただきました。
以前は毎週のようにオートバイでお邪魔していましたが、最近は引っ越したせいもあり、足が遠のいて居りました。
綺麗なお店になりましたね、とお慶び申し上げる気持ちと、あの送電線リールを横にして置いた外のテーブルと、切り株の腰掛けが懐かしく思い出され、あれも良かったな...とチョットだけですが複雑な心境でした。
でも、変らないお蕎麦はもちろんのこと、以前も寒い日には必ずお世話になっていた「おしるこ」で暖をとることが出来たことは感激でした。
また、よもぎ大福、ご馳走様でした。おいしかったです。都会ではよもぎの姿形すら判らない大人達が子供たちを育てています。仕方の無い事ですが、昨日のように自由にオートバイに乗って、自然や昔乍らの素朴な味に出会いに行ける自分達のような者はまだ幸せな方なのかも知れません。

そう言えば、おばあちゃんのお姿が見えませんでしたが、その後もお元気でいらっしゃるのでしょうか?
いつまでもお元気で、頑張ってください。
是非また寄らせていただきます。

東京都目黒区
くれ〜じ」


「くれ〜じ様

ご来店、ありがとうございました。
私は、このHPを管理しています、3代目の加藤純一と申します。
以前よりお越しいただいているとのこと、真にありがとうございます。
私自身は、自分の仕事をもっている関係で、年に数回しか店のほうへでることができず、ほとんど、人まかせの状況です。
店を改築してから、3年ほど経つでしょうか。
確かに以前の店のほうが、田舎の茶店という感があって、
昔から来られていた方は、非常に懐かしがります。
また、この改築で表の桜も切り、それを残念がる方々もおります。
しかし、老築の以前の家屋では、やはり不便が多く、2代目の判断でこのような形にしました。
どうぞご理解をいただき、今後ともよろしくご贔屓くださいませ。
あの、送電線のリール机、確かに私も懐かしく思います。覚えていただいていただけでうれしくなります。
これからの時期の富士山は、1年のなかでも特に綺麗に見えます。
どうぞ、お時間が有りました、再度、ご来店くださいませ。

3代目
加藤純一

追伸 祖母は元気にしております。齢、90を過ぎました。
あるいは、以前が5,6年前のご来店ということであれば、ご年配の従業員(浅海ヤオさん)のことかもしれませんね。残念ながら、その方はその後、お亡くなりになりました。お蕎麦打ち
のとても上手な方でした。」

やがて厳しい冬を迎える山の国からの、心温まるe-mailだった。