筑波サーキット スポーツ走行
2003/07/16 WED
今年の初め、発作的に筑波サーキットのスポーツ会員となり、筑波サーキットで楽しもうと思っていたが、いまだかつてスポーツ走行はしたことが無かった。
BS走行会で時々走れるだけで十分だった。
しかし、6月の3時間耐久レースを皮切りに重度のサーキット病にかかってしまったようだ。
同じく、アポロン様やハセガワ氏にも煽られて、エスカレートする一方だった。
6月26日のBS走行会で私が1’17.2のタイムで素人の部 一番時計をマークすると同時に、えれっくも17秒台、アポロン様も18秒フラットと各ライダーがタイムアップをしているのに対して大変悔しがっていたハセガワ氏は先週の土曜(7月11日)モッツーを連れ立って筑波サーキットへ行った。
先導役のモッツーが17秒フラットだったのに対して、ハセガワ氏は16秒9をマークした。
素人の部初の16秒台ということで、大変盛り上がり、単独の「倶楽部16秒台」を豪語していた。
それを聞き、「俺の天下もたった半月で終わりか。」と落胆しながらも、7月16日に天気が悪くなければ「梅ライディングスクール」が開催されるということで、それに期待していた。
降水確率60%くらいで予想されていて絶望しされていた16日水曜日だったが、前日に20%となった為、前日夜に急遽「梅ライディングスクール」の開催の連絡が入った。
新橋で飲んでいたので、急遽飲み物を水に替えて、翌日に控えた「梅ライディングスクール」に備えた。
新橋から自宅に帰る途中に暇だったので、モッツーに電話をして誘ってみた。
彼は仕事中で明日も難しいということだったが、「16秒台を出して、うるさいハセガワ氏を黙らせてくれ」
と彼は嘆願してきた。
さらに条件があった。
モッツーが筑波サーキットでの自己BESTは15秒5なので、それは破らずにハセガワ氏のタイムだけを上回るようにしてくださいということだった。
そのとき、自分の目標は「夢の14秒台」で決まった。
14秒台になればMEGARIDEの規定で素人の部から卒業し、レーサーと呼ばれることになる。
そして、次はさらに難しいステップへチャレンジしていくことになるのである。
5時半に家を出て、6:30頃に裏セブンで梅先生と待ち合わせをした。
曇り空だが、天気予報では雨の心配はなさそうだ。気温も高くない絶好のコンディションであった。
我々は平日ということもあり、予約は入れてなかったので、受付で当日申込を行なった。
8:30〜と9:30〜の2本をまずは申し込んだ。
参加台数はこのクラスで10台程度のガラガラ状態。
思い存分に指導が受けれる環境が整った。
■1本目■
まずは私が先頭で数周し、その後に梅先生が前を走って引っ張るという計画でスタートした。
17秒台の安定した走りを見せていたが、もう一歩16秒台には届かずに苦戦していると、予定通りに梅先生は、するりと前に出て引っ張り始めた。
やはり、コーナーの進入・コーナーリング・立ち上がりでは遅れがちで、自分自身「ヘタクソ振り」を発揮していた。
かつて妻に言い放たれたある言葉が蘇った。
「あなた カーブ遅いわね」
「あなた カーブ遅いわね」
「あなた カーブ遅いわね」
もう少しだけ速いスピードでコーナーへ進入を試みよう。
そう思いながら、自分なりに必死に梅先生に付いて行った。
手元のP-LAPを見ると15秒082
「何だ行っちゃったジャン」
(この時点で、素人の部一番時計およびモッツーのBestLAPをもパスし、完全勝利が確定した。)
「ここまで来たら、もう一踏ん張りで夢の14秒台だから頑張ろう」
と思った時には、腕がパンパンになっており、夢はお預けとなった。
1本目を終え、15秒082というタイムを聞いた梅先生は一応ノルマは達成したことに安堵していた。
しかし、ここで興味ある事実があった。
前か後ろで30分(20周)を一緒に走った梅先生のP-LAPには14秒後半が記録されていた。
ほんの一寸、私を引き離した時にマークしたものだろうけど、この差は自分いとってはとても大きい。
以前壁だった20秒台と19秒台の差と同じような壁だ。
事実、お馴染みの先輩レーサーの方々とモッツーの間の壁も15秒である。
素人とレーサーの差が15秒以上か未満かで決まるのである。
さらに梅先生は興味あるアドバイスをくれた。
「MazyoraさんはCX立ち上がりから第2ヘヤピンまでは死ぬほど遅いね〜」
「ラインも、アクセルの開け方も全然駄目だね〜」
これは、はじめて聞く事実だった。
自分にとってはすべてのセクションを同じように走っているつもりだったが、前述の区間だけは異様に遅いらしい。
なぜそんなに遅くなるのかはライン取りに因るところが大きいことに気付いた。(眼からウロコ状態)
これは大きな成果である。
また、最終コーナーでも遅いらしい。
梅先生は敢えて150m看板で身体を起こしてノーブレーキで最終コーナーに進入していたらしいが、100m看板まで頑張って開けてブレーキングしている自分よりは遥かに速い。
つまり、ブレーキングしすぎ?
この事実も自分にとっては大きな発見だった。(眼からウロコ状態 その2)
これらを総合すると、「夢の14秒」は難しくない。
そう確信した。
■2本目■
梅先生は2本目に向けて、引っ張りが必要かどうかを聞いてきた。
今回はテーマが絞れているので、勝手に練習すると告げて、別々にコースに出て行った。
1本目はギリギリ梅先生に付いていって15秒をマークしたが、「CX→2ヘヤ区間」そして「最終コーナー」の2つに集中して走っていると、すぐに15秒台に乗って来た。
さらにアグレッシブに攻め立て、
15秒0
「夢に向かって、もう一歩だ〜」
最終コーナーでのライン取りが決まって、
13秒736
「ギョ? まじで でじま まじでじま」
「おいおい 14秒台をJUMPしてるよ」
「こうなりゃ 調子乗って 田丸氏と同じ12秒台まで行っちゃえ〜 うぉ〜」
14秒369
ここでイエローフラッグが出た。
「今日はこのぐらいにしてやるか!」
とばかりに、PITに入り、噴出した汗をぬぐった。
すがすがしい汗だった。今年一番の汗と言っても過言ではない。
そして、信じられないタイムにタバコを吹かしながら酔いしれていた。
「ケッケッケッ これで、素人の部からは一抜けだな」
前回の17秒2から一気に3秒5も縮まった。
驚きの一日だった。
今回特別講師として来場していた、豊田選手や池田選手にも祝福され、毎回タイムを縮める素人の部を羨ましがっていた。
でも、それもここまで。ここまでは数をこなせば誰でも来れる。
ここからが本番。
12秒
11秒
10秒
と1秒1秒が大きな壁となって立ちはだかるのである。
最後に特別講師の豊田選手や池田選手は梅先生に貴重なアドバイスをしていた。
最終コーナーについてである。
筑波サーキットの最終コーナーは100Rと90Rの複合コーナーだが、我々は一つの大きなコーナーと考えがちである。
先輩達曰くこれが違うらしい。
最終コーナーとは最後の90Rの方だけで、手前の100Rは、あくまでも90Rの最終コーナーへ向かうアプローチ部分と考えて組み立てるのが正解だそうだ。
これを聞き、自分自身の次回のテーマは決まった。
今回はじめて筑波サーキットのスポーツ走行を体験して思ったことは、練習するなら空いていて速い人たちと走るに限る。
休日の混雑した走行や通常の走行会ではいろいろな人が多すぎて思い通りに走れることは少ない。(危険が多い)
したがって、そういうイベントへの取り組みというのは、ただ綺麗な路面でノンビリ楽しむのもよし、自分のテーマに沿った練習をするのも良し、よほど空いていればタイムアタックをするもの良いが、せいぜい1周か2周である。
本気で自己ベストにチャレンジする時はそういうイベント系ではなく、筑波サーキットの会員となり、スポーツ走行でたっぷり走るに限る。
どうやら、これまでのBS走行会への取り組み方が間違っている自分に気付いた貴重な日でもあった。
おわり