SPEEDWAY MEET

開催日:2003/6/1(SUN)
天候:曇り時々晴れ
路面:ドライ

SPECIAL MOVIE by KAZU■

2002年3月14日、ブリジストン走行会で初めてサーキットを走ったのがきっかけで、サーキットへハマりだした。
楽に速く走るために平成の名車と言われたMazyora号(Sportster1200S)を手放し、BUELL XB9Sまで購入し、その思いはピークに達した。
そこで飛び込んできた今回のSSC3時間耐久レース「SPEEDWAY MEET」は、まさに私の為に企画されたのではないか?と疑うほどのタイミングだった。
この盛り上がりは、レースの2ヶ月前から始まっていた。
その中でもチーム編成は楽しみの一つである。
我等が一国レーシングは本気のAチームと素人のBチームと決まった。
Bチームは私のXB9S(ジュリアン号)で走ることを表明し、仲間探しに入った。
最初は、Mazyora・アポロン・マシンガン宮島・長南の4名で臨むつもりであったが、諸事情でMazyora・アポロンの2名になってしまった。
2名では諸費用の分担や精神面では寂しいので、急遽MEGARIDEの古株でかつてはノービスでレースを経験しているリリー・タカハシ氏に加わっていただくことにして3名が確定した。
その他のチーム編成は

■一国レーシング Aチーム
#1:梅島(一国オート3代目)
#2:田丸(伊東の夜の帝王)
#3:はせがわ(椿ラインの貴公子)
マシン:XB9R

一国レーシングは以前FICCOの1時間耐久レースでは優勝をしている。
今回は2回目のSSC耐久。 耐久2連覇をひそかに狙っている。
前回は当時のスーパーノービスの豊田選手に因るところも大きかったが、現在国際Aとなってしまい参加できないため手持ちのライダーでの編成で挑む。

■TEAM-PLAIN
#1:佐藤潤選手(2002年もて耐3位・元SSC OPEN CHAMP)
#2:田辺選手(GSX1100Sカタナの鬼・先月マタンキ患い経験あり)
マシン:XB9R(試乗車)

PLAINとしては出場する以上は優勝が絶対条件。
本格的なレース参戦は久し振りなので、尚更負ける訳にはいかない。

■TEAM-PLAIN 79+21
#1:腰痛番長(ヘヤピンの魔術師)
#2:くれ〜じ(Mr.ブラインド)
マシン:黒いブルーダイナマイト

フロント19インチのスポーツスターを乗らせたら、この二人に敵う人はいない。
ぼろぼろに故障して、スポーツスターの最後の花道となるか?
19インチの名手2名で底力を見せるか?

以上の4チームでの参戦となった。
「素人参加型のレース」と聞いていたが、回りを見渡すと「本気系」だらけであることに気付いたのは、レース当日になってからのことだった。


5月30日(金)

仕事が終わってから出発ということで、足柄SAで22:00の集合となっていた。
TIサーキット英田までは横浜から約700km。
すでに耐久レースは始まっているかのような長い道のりである。

鶴見 (1区) 足柄SA (花の2区) 浜名湖SA (3区) 養老SA (4区) 西宮名塩SA(名神) (5区) 美作IC(中国) (6区) TIサーキット英田

上記の行程表でもっとも長いのが足柄-浜名湖間の160kmを越すルートである。ここは我々の中では花の2区と呼ばれており、エースライダーが運転をすることになっている。
行きは当然最年長のアポロン様が担当することになった。
ドライバーにとって大切なのは、助手席からのフォロー。眠気覚ましにはこれが一番だが、助手席のタマル氏は足柄SAを出てから岡山まで起きる事は無かった。
彼は、みんなと一緒に岡山に行きたいということで、石川県から早朝に横浜にやってきた。
常識的には、石川から岡山向かったほうが早いし、安いしと思うのだが、彼は「効率」よりも「寂しさ」を嫌った。
しかし、結局眠りっぱなしでは無意味であろう。

花の2区を終えて、浜名湖SAに到着した時には全体的に疲労が溜まってきていた。
M総監督の「養老に寄ろう」が出たときには、全員の疲労はピークに達した。
心配された台風もルートが反れて、日曜日には台風一過で熱くなるんではないか?という意見に対しくれ〜じが言い放った「小林・・?」
小林一茶を強引に持ってきたが、ウケは良くなかった。

次の西宮名塩SAではオレンジKがボケを連発した。
自分のボケに気付かずに、それを重ねるといういわゆる「連鎖ボケ」をかまして喫煙所に和やかな空気を送り込んでくれた。
西宮名塩SAまでは順番どおりに私が運転したが、次の運転のアポロン様が花の2区の疲れから癒えずに「パス」を宣言した。
前半に十分に眠ってしまった為、比較的な元気な私は、そのパス券を引き受けた。復路でこのパス券を行使するほうがありがたいと思ったからだ。

5月31日(土)

中国道に差し掛かると路面が荒れてきた。いまどき水しぶきが上がる高速道路は珍しい。
そして、夜が明けてきた。
美作IC(美作と書いて「みまさか」と読む)ではETC装置が無かった。
これまで順調にノンストップでパスできていたのに、わざわざETCカードを係員に手渡して処理をしてもらうのは面倒なのである。

途中のコンビニで朝食を調達しTIサーキットへ到着したのはAM6:00頃だった。
台風の影響で雨は降ったり止んだりで肌寒い。
サーキットではチームTERADAの方が、徹夜でPITを確保してくれていた。
本当にありがたいことである。この場を借りてお礼申し上げます。
あの雨の中PITが使えなかったら、全員死んでいただろう。

AM9:00頃、練習走行まで時間があったので、オレK・EMMY・タカハシを連れ立って、下山をした。
温泉に入ることが目的だった。
湯郷の温泉街の看板で「かんぽの宿」を見つけ行ってみたが、AM11:00〜ということで入れなかった。
その後、聞き込みを行い、町営の綺麗な温泉があることを突き止めた。
「湯郷鷺温泉」は¥600で入れて、最近改修されて綺麗な温泉だった。
温泉専門施設であるため、食堂が無かったが、TEASTの車やHOTBIKEのカメラマンなど、関係者が多数居たので、良いポイントだった。
しかし、空腹をソフトクリームで紛らわすことは出来なかったので、他のメンバーが行っている「花みずき苑」の2Fレストランで待ち構えようという作戦に出た。
1Fにある風呂を出た人は2Fの食堂に上がってくるに違いない。という私のヨミは大きく外れた。
さらに、そこで食べた食事も大きく外した。
仕方ないので、みんなが昼食を食べることになった「石の家」へ付いて行き、さりげなくサントウィッチを頼んだが、作るのを忘れたらしく、出て来るのがとても遅かった。つまりここでも外した。
オレK夫妻は、そういう私を見て「今日は外しまくりですね〜」と喜んでいた。

この日の練習は16:05〜16:35、 17:25〜17:55の2回である。
雨は一向に止む気配が無く、カッパを着ての練習となった。
初めて走るサーキットなので、コースを覚えることに専念して、アクセルは控えめだったが、アポロン様は違っていた。
のびのびと走行し、2’37.000の当チームの一番時計をマークした。
私のLAPは3分近かったので、アポロン様とは20秒以上もの差だった。

練習が終わり、PIT内では夜のBBQの準備が進んでいた。
厨房担当総責任者:えれっくの指揮のもとで、炭が熾され最初のソーセージが運ばれてきた。
クーラーで冷やされたビールが空きっ腹には効いた。

宴会の片隅ではTEAM-PLAIN Aチームが入念な打ち合わせが行なわれていた。
TEAM-PLAIN 79+21の腰痛番長+くれ〜じはマシン整備を遅くまでやっていた。
レーサーの中で早々と飲んだくれているのは、我々一国Bチームだけだった。
今回のBBQのメニューは、ソーセージをはじめ、イカ・海老・さわら・ししゃも・ハラミ・カルビ・チャーハン・焼きおにぎりと、いつもより魚介類が多かったが、それはうちのチームのリリー・タカハシが一身上の都合で肉が食えないという事情に対するえれっく料理長の配慮だった。

腹ごしらえも終わり、コテージに戻るとそのまま睡魔に襲われ倒れてしまった。

6月1日(日)

翌朝5:30には目覚め、周りの連中を起こして歩いた。
タマル氏が「ラジオ体操の歌」を歌いながら我々の部屋に入ってきた。
その歌は、私の18番の歌である。
この日は奪われてしまった。

AM6:30から車検が始まる。
早々と並んで、車検を受けた。
初めての車検である。
3箇所ほど指摘され再検査となったが、それらをパスし、9:50からの予選に備えた。
予選は10分しかない。
このTI英田サーキットは一周が3.7kmあり、私のレベルでは2分30秒だとすると、4周しか出来ないことになる。
1周目はカウントされないので、実質3周勝負ということになる。
これはとても緊張する。
せめてもの救いは、予選前にアポロン様とタカハシ氏がライセンス講習でサーキット走行の実技講習を受けた為、ローラ号のエンジンやタイヤは暖まっている状態ということぐらいだった。

そして予選が始まった。
前日のウエット路面とは比較にならないほどうれしいドライ。
呼吸と腕の力を抜くことに専念しながら走行した。

コースマップ

 

■第一コーナー
下りのコーナーというだけで、ビビってしまい、200m看板でブレーキングをし、安全に進入するが、スピードが遅く物足りない。その結果インベタで走れる状態だった。

■ウイリアムズコーナー
前述のように第一コーナーがインベタなので、このコーナーへはアクセルを全開にして向かう。
ただ、この日はコーナーの前でリアタイヤが不自然にすべる現象が発覚した為、完全に乾いた外側のラインを選んで走った。

■モス S
くれ〜じがホッケンハイムと呼ぶこの高速S字は、このコースの中で一番好きなところとなった。
アクセルを開けたままで左-右-左と気持ちよく走ることができる。

■アトウッドカーヴ
筑波サーキットの第二ヘヤピンのイメージを持っていたが、実際は全然違う。
曲がってから急激に上り始める不思議なコーナーである。ここは最後まで苦手となった。

■バックストレッチ
とにかく長い。メーターで180kmは楽に越す。
次に控えているヘヤピンが怖いので、ここでも200m看板付近で確実にブレーキングをしてしまう。
すると、100m看板付近では減速は完了してしまう。
そうすると、そこから再度アクセルを開けてヘヤピンへ向かうというようなお粗末な走行しか出来なかった。
では、ブレーキングを100m看板まで我慢すれば?ということになるが、そこが怖いところなのである。

■ヘヤピン
この存在が突っ込みに恐怖を与えてくれた。

■リボルバーコーナー・パイパーコーナー
この連続の左コーナーは観客が多い見せ場である。
ヘヤピンらリボルバーまでは下ってるので、まるでコークスクリューのような感じだ。

■レッドマンコーナー・ホッブスコーナー
上りの連続コーナー。ここもパッとしない走りしか出来なかった。

■マイクナイトコーナー
下りながら最終コーナーへと向かうコーナー。
下っているとビビってしまう。

■最終コーナー
入り口が狭く、出口が見えない。
思わず過減速になってしまう。
私のスピードでは2ndではギアが低すぎて3rdでは高すぎて立ち上がりが鈍くなってしまう。

というような感じで予選はあっという間に終わってしまった。
結果、2'11.735。
第一ライダー終了時点では62台中55位という成績だった。
こんなヘナチョコ走りでは当然のタイムであることは納得できたが、その下に7名の人がいることがせめてもの救いだった。

一方、第二ライダーのアポロン様は違っていた。
コースを楽しんで走っている。
直線の開けも、ブレーキングポイントも私よりは数段上である。
タイムは2'09.000
61人中49位。
第一ライダーが第2ライダーに抜かれるというハプニングが起きた。タイムがいい方がスタートするのが基本だよ!と周りから言われ、本番スタートだけを楽しみにしていた私はしぼんでしまった。が、別にどっちでも良いということが判って、予定通りスタートを走れることになった。
最終的な我々の予選順位は、62台中、56位となった。

TEAM-PLAIN AチームはJUNさん1'50.228・田辺選手1’52.984  予選5位
TEAM-PLAIN 79+21チームは腰痛番長1’56.531・くれ〜じ 1'59.022  予選20位
一国レーシング Aチーム 梅ちゃん1'55.221・タマル氏2'06.487     予選13位

予選が終わり、最終燃費を計った。
すると、15km/l走っているではないか?これで、給油回数は1回で足りることを確信し、スケジュールを見直した。

Mazyora     20分   (20分)
アポロン    30分    (50分)
タカハシ    30分    (1時間20分)
Mazyora   10分    (1時間30分)
  ※給油   
Mazyora   20分    (2時間)
アポロン    30分    (2時間30分)
タカハシ    30分    (3時間)

予選が終わると、ライダーズ ブリーフィングや出走前点検などですぐに本番となった。

本番前にフルコースコーションの練習があり、その後にサイティングラップ。
今回はルマン式スタートなので、私は遥か後方の56番グリットについた。
規定では第2ライダーがマシンを支える。
第一ライダーの私はコースの反対側へ移動する。
カウントダウンが始まる。

9・8・7・6・5・4・3・2・1


「START」
痛い足を引きずりながら、アポロン様が支えているバイクへ跨り、エンジンをかけた。
「うぉ〜 (エンジンが)かかった」 (あたりまえである。)
やや遅れながら、スタートし第一コーナーへ向かう。
第一コーナーのスタート直後の混雑が懸念されていたが、我々のポジションからスタートすると、すでに空いていたのが、やや拍子抜けだったが、本番は本番である。
私の周りには、それ相応の遅いライダーが多かった為、順調に1台づつパスしていった。
ほとんどがスポーツスターだったが、前方にXB9Rを見つけたときは燃えた。
予選ではXBシリーズでは最下位だったので、決勝ではそれを避けるのが我がチームの目標だった。
その目標が前にいる。
ハンドルを握る手に力が入った。
その殺気を背中に感じたのか? そのライダーはすぐに私の背中を見ることになった。
しかし、予断は出来ない。
ダサいつっこみしか出来ない自分が、差し返されるかもしれない。
そんな不安を抱えながら、周回を重ねると珍しくPITサインが出た「P-3]
あと三周でPITしろというサインだ。
予定通りPITに入りアポロン様へバトンタッチした。
2分10秒台で走行している私より数秒早めの安定したLAPを重ねるアポロン様は乗れていた。
しかし、耐久レースというのは誰が何位で走っているのが判らないのが唯一の不満である。
順位とタイム差がタイムリーに表示されればもっと盛り上がるだろう。
アポロン様からタカハシに引き継がれた。
これで、全員がレース本番走行という最初のちっぽけな目標は達成された。
次は、「完走」を目指すのみである。
タカハシが戻り、再び私の番になった。
ここで、予備タンクの意味合いのあるオレンジランプが点灯するはずだが、なかなか点かない。
そのうち、転倒車がでて、フルコースコーションとなった。
スローペースでの周回が続いた。
「これは長引きそうなので、PITに入り給油しちゃおうかな?」
時計を見ると15:00を過ぎている。(13:30スタートなのでちょうど半分である。)
「よし、ここは計画外だが、PITインしよう」と決めて、マイクナイトコーナーでPITロードに入った。
PITロードで最終コーナー付近に差し掛かった時にレッドクロスの旗が解除された。
「なんだよ! それじゃ話が違うよ!」
と叫びながら、抜き打ちPITに入り、多少混乱させながら、給油を済ませた。
このついでにライダーも交換しようと思ったが、まだ自分の時間が残っているということで、自分が再スタートした。
もったいないPITだった。
これも、勉強である。
2時間が経とうとしている時に、また「P3」のPITサインが出た。
あと三周で自分のノルマは終了する。
あっという間の2時間だった。
あとは、アポロン様・タカハシ選手に託すしかない。
アポロン様はさらにペースを上げて周回した。
手元のストップウォッチを見ていると、2分4秒・3秒・1秒・1分59秒と瞬く間にタイムを縮めていった。
コース上ではくれ〜じの後ろをアポロン様が走っている。
以前、伊豆スカイラインでくれ〜じの後ろにピッタリついて、自信をつけたアポロン様は、この日もTI英田で、レース中にも同じシチュエーションにめぐり合った。
くれ〜じに引っ張られて59秒台をマークしたと言っても過言ではない。
お陰で、PITサインを出そうとすると、前でえれっくが大きなサインボードを同じタイミングで出すので、我々の小ぶりなサインボードはアポロン様には見えなかっただろう。
それが2〜3周続いた。その結果59秒台である。
意外と、アポロン様にとってくれ〜じは「上げチン」なのかも知れない。

サーキットを満喫したアポロン様が戻り、タカハシが最終ライダーとしてチェッカー目指して走る。
時間は残り30分。
「頼む! このまま頑張ってくれ〜」
彼は若干のノービス経験はあるが、いまだチェッカーというものは振られたことは無い。
マシントラブルか転倒でいづれも途中でリタイヤとなっている。
彼はそのことがあるので、最終ライダーを努めるにあたり、プレッシャーを感じていた。
ここで、何かあればこれまでの2時間半、いや金曜の夜から始まっているこの努力が泡となるのである。

そんなプレッシャーの中、走っている彼を少しでも応援する為に、フランクフルトを買って食べた。
この日は何も食べていなかったのでとてもおいしかった。

空腹を満たし、ふらふらとPITに戻ってみると、場内実況が聞こえてきた。
「現在 TOPを周回する ゼッケン29番 田辺・佐藤組は順調に走行し、同一周回はいません。 続いて・・・」
何? 29番がTOP?
半信半疑でPITに戻ってみると、JUNさんがゆったりと休んでいた。
「JUNさん 29番は現在TOPですよ」
「ええっ? それ本当?」
「そう聞こえたのでたぶん・・」
「よし、落ち着こう ぬか喜びになるとまずいのできっちり確認しよう」
と言って、コースサイドにいるM総監督に伝えに行った。
それを聞いたM総監督は「本当か?残り時間は?」
「10分前です」
応援に熱が入った。
同一周回はいないので、のんびりとペースダウンの指示は出さないのか?
と聞くと、「それは返って危ないのでこのまま走らせる」
とのことだった。
田辺選手本人は、HD藤沢のH選手に抜かれて熱くなっていた。
田辺選手は「H選手に抜かれたので順位が下がった。命に代えても追いつき、思わくば、、、」
と目を三角にして頑張っていたのである。(レース後の田辺選手の弁)
それを見守る関係者。
緊張の10分である。
緊張の時間は経過する。
残りも1分を切り、カウントダウンが始まった。
すると、幸か不幸か、終了直前で次のLAPに入ってしまった。
それも、田辺選手は猛烈にH選手を追いかけながらである。
熱くなりすぎて無理をしなければ良いが、、、。
最終LAPとなり、約2分の空白が関係者をつつんだ。
そして、視線は最終コーナーに釘付けとなった。

ゼッケン29・田辺選手は帰ってきた。
私の頭の中では、汚れた英雄のあのテーマソングが流れていた。
PITでは、喝采があがり、JUNさんの目にも涙が輝いていた。
私も目頭を抑えてPITに引き返した。

感動に酔いしれながら、ふと気付いた。
「あれっ うちのチームのタカハシは走ってるの?」
慌てて、コースサイドへ行き、安否を確かめると、タカハシは無事にチェッカーを受けた。
自身初のチェッカーであった。これで全員完走+優勝チーム付き。最高の結果であった。

■最終結果■ 完走:48台、リタイヤ14台

優勝    No.29    TEAM-PLAIN                     田辺+佐藤                         91周    1'47.867   
15位    No.79
+21    TEAM-PLAIN 79+21    腰痛+暮次                         82周    1'53.410 
18位    No.19    一国 Aチーム                 梅島+田丸+長谷川                 81周    1'53.553
36位    No.34    一国 B チーム                  Mazyora+アポロン+タカハシ    77周 1'59.849


レース終了後は表彰式である。
883クラスではMISUMI&BURNのフランクさんと奥川さん組が優勝し、OPENクラスではTEAM-PLAINが優勝。
細かいトラブルはあったが、全員無事に完走と大変楽しいレースだった。
来年もありそうなので、それまに腕を磨いて頑張ろうと心に誓った。

レース終了後は温泉に宿泊し、月曜にのんびり帰ってこよう計画があったが、諸事情から断念してそのまま帰ってくることになった。

岡山から夜通し走り、4時ごろ横浜ICに到着した。
帰り道でも、花の2区を担当したのは、アポロン様だった。往路・復路とも一国Bチームは花の2区をアポロン様に託した。
しかも、復路は足柄SAではなく、腰痛番長の鶴の一声で、その先の鮎沢PAになっていたため、「花の2区」は「はすの花の2区」となっていた。
梅ちゃんと宮島氏のGOODな発案で、横浜IC近くの「芙蓉の湯」で温泉に入り、仮眠をしAM9:30一国へ到着し全行程を終了した。


 

 

SPECIAL THANKS

ゼッケン34の一国レーシング Bチームのスポンサーです。
大変お世話になりました。
次回も宜しくお願いします。