一国ツーリング 2003年 春の部

 

開催日:2003/4/6 SUN

天気:晴れ

参加者数:29名

予定されていたルート:談合坂SA(9:00)−一宮御坂IC(9:30)−河口湖道の駅(10:50)−朝霧高原、二輪社会館(昼食〜13:30)−表富士五合目(14:30)−御殿場IC(15:30)−海老名SA(解散)(16:30)

 

危ぶまれた天気も回復し、日曜日の予報は晴れ。
誰しもが「最高のツーリング日和」を確信していたに違いない。
しかし、旅なれた私を含めて数名は、これ以上無いというくらいの防寒対策を施してこのツーリングに挑んだ。
春とはいえ、今回のコースは中央道である。
山梨の寒さは半端じゃない。へたすると、横浜地区とは10度くらいの気温差はあたりまえの極寒の地である。
一国二代目の実ちゃんに言わせれば
「河口湖って言や〜 昔はマイナス18度まで気温は下がり 河口湖にはった氷の上を走ったものだよ〜」
「なめちゃいけね〜な〜。河口湖を」
それほど本来は寒いところなのである。
しかも、前日の土曜日は関東地区も含めて全国的に雨。
極寒の条件はそろっていた。
朝5:30に起きて、1月3日以来のオーバーパンツを引っ張り出し、モモヒキ、Gパン、オーバーパンツという、本来はハーレー乗りにはご法度とされているファッションで固め、駄目押しでブーツと背中にホッカイロを仕込み、AM8:00集合地の談合坂に向かった。
この日は、防寒グローブの操作性の悪さを考慮して、国道1号線で五反田まで行き、そこから首都高速〜中央道という大名コースをチョイスして、向かった。
7時前の首都高は快適なペースで抜け、中央道に差し掛かろうとしたとき、電光掲示板に「中央道通行止め 大月〜上野原」というサインが出ていた。
「上野原って談合坂より手前ではないか?」
「っていうことは中止?」
などと考えてながら走り、中央道に入るときれいな富士山が見えた。
松任谷の歌に中央フリーウエイというのがあるが、ビール工場や競馬場じゃなくて、富士山を歌えよ!などと勝手にクレームをつけながら、先に進むと通行止め区間が勝沼〜大月になったので一応安心して談合坂に向かった。
八王子を過ぎたあたりから気温がぐっと下がった。予想通りである。7時ちょい過ぎという早い時間と、寒さを紛らわすために、80km/hのスローペースで進んでいると、背後からハーレーらしきバイクが近づいてきて、追い抜かずに私の背後についた。
バックミラーで確認すると、ヘルメットが純白だったので、ライダーの特定はできなかったが、ステップに乗った約29cmの大足で、それが遠藤さんであることがわかった。(爆)
その後は二人でのんびりと談合坂に向かった。

談合坂に到着したのは集合時間の30分前。
すでに何台かのハーレーがすでに停車していた。
そしてその中には、マシンガン宮島の姿があった。
彼は、集合時間の1時間前には必ず到着し、そこの名物を朝飯として平らげ、準備万端でみんなを迎えるというのがポリシーである。
今回は談合坂ということで、何故か「喜多方ラーメン」を狙ってきたと言っていた。

談合坂SAでは雪が積もっていた。
そして、相当寒かった。
到着するライダーは一様に震えながら、「寒いね〜」と挨拶を交わしたが、実は完全防寒の私は寒く無かった。
中でも圧巻だったのは、Gパンにモモヒキ無しという、無謀なライダーも2名ほど居たことだった。
この状況で、Gパンだけ「では自殺行為である。
S1の林さんとM2のカズである。
震えている林さんとは対照的にカズは「全然大丈夫ですよ!」と言っていたが、何か変な薬でもやってない限り、おかしな症状である。
また、先週徳島から横浜に帰還したばかりのチョウナン君はFXDXを下取りに入れ、FLHTCに乗り換えて悠々と登場した。が震えていた。


腰痛番長と缶コーヒーを買いに行き、腰痛番長がコーヒーのボタンを押したらお茶が出てきた。試しにもう一度お金を入れてチャレンジするとやはりお茶が出てきた。
そのため、レジに行って、交換してもらっていた。

本来は、一宮御坂ICの予定だったが、通行止めだったので、河口湖に向かうことになった。

 

河口湖IC出口では、あたり一面が雪となっていた。
「予想通りだ」
路面にまかれた融雪剤でバイクはもちろん、体全体が汚れていた。

河口湖ICから西へ5〜6kmのところにある「道の駅なるさわ」で休憩したときに、まず2人の脱落者もどきが出現した。
一国ツーリング倶楽部 第一期生のCBRの米さんと天田選手に似たK100RSの2名である。このベテランライダーのお二方はここの「道の駅なるさわ」に隣接している日帰り温泉「ゆらり」で温まって行くということで、ここで分かれた。
うらやましがる人もいる中、国道139号線を南下した。
道の中央には時折雪が残っている。
前を走る遠藤さんはその雪に乗り、危うくコケそうになるのを見たり、国道に覆い被さるように立っている木の枝に溜まった雪の塊が、右のミラーを直撃してヒヤリとさせられたりしたが、本栖湖を越えて静岡県に入ると、徐々に雪は消え、いつの間にか、すっかり雪が消え、太陽が降り注ぐ春のワインディングに変わっていた。
富士山のあっちとこっちではこれほどまでに違いがあるとはびっくりである。
富士宮の「二輪博物館」に到着したのは11時。
飯昼には早いと言うことで、博物館を見学することにした。

ところ狭しと並べられた旧車達は、誇りまみれになっていて、とてもお金を取って見せるにはお粗末だが、唯一面白い発見があった。

隅におかれていた、埃をかぶった1987年の旧いバイク雑誌をペラペラと捲っていたら、見覚えある人が載っていた。ミスミのフランクさんである。
16年前とは思えないほど、そのままの姿に驚きながら、彼をよく知る腰痛番長に教えてあげたら、大変喜んでいた。これだけが、この博物館でのポイントである。他は別にたいしたことは無い。
この博物館の隣にあるレストランで昼食となった。

ここからは、本来の春のツーリングの始まりである。
一国のジェントルマン成田氏はシールドを外し、ジェットヘルにサングラスだけとなり、BigTwinを満喫していた。外したシールドは背中にしまっていた。

30台近くいると、給油はお約束の大渋滞である。
のんびりと商売しているスタンドマンが突然の来襲にドタバタとする姿はおなじみである。
スポイシ氏は待ちきれず、自分で給油していた。

白糸の滝付近から左に折れ、県道72(白糸滝公園大渕線)に入ると、これまでの憂さを晴らすように、最高のワインディングが我々を迎えてくれた。
そして数キロ先の信号を左折すると富士山スカイラインの始まりである。
ここだけは、大名行列で走るにはもったいない峠コースである。
数台後ろにはBlackyのくれ〜じがいることは知っていたので、一足先に反対車線を走行し、前を行くライダー達を追い抜いて,フリー走行に入った。
次に休憩が予想される水ケ塚PAまでは約10kmある。
「逃げ切れるか?」
FXDXのバンス&ハインズのプロパイプが爆音を吐いて進んでいく。
ステップがガリガリと音をたてて火花を散らす。(自分では見えないので想像モード)
すると、すぐにプロパイプの音は同じくバンス&ハインズのショートカットの音にかき消されてしまった。
お約束のBlackyの登場である。
今回は早めのスイッチONである。
次の集団を追い抜いていくBlackyを追いかけるSivester。
その集団の先頭を先導していた、XB9Rの梅ちゃんをも一気に抜き去る2台のFXDX。
それを見て、XB9Rは黙っているはずが無かった。
バックミラーを見るとぐんぐんと迫ってくる。
「やはり 奴も来たか」
これが楽しいひと時である。
しかし、次のコーナーでXB9RがINを差しにくると思いきや、スピードダウンして、我に返ってしまった。
仕事に戻って、まじめに後続の先導に専念するようだ。
「ちぇっ 来ねぇのか」
仕方なくアクセルを開けなおして前を見ると、そこにはすでにBlackyの姿は無かった。
一人旅になってしまった。
そのはるか前では、先頭のアポロン様が今回初参加の紅一点M2のきよちゃんにあおられていたとか、、、。
また、気を落としてしまったアポロン様の姿が休憩所にはあった。


おそらく、きよちゃんは鶴見に戻って長谷川君に

「アポロン様は遅くて退屈だったワ」
「だろう。 言った通りだろう」
「今度は くれ〜じさんと走るようにするワ」
「それは危ねぇな〜。 タンデムシートに飛び乗ってくる可能性があるよ。彼だったら。」
「それはそれでいいワ」
「・・・」

などと言う会話になっていることは容易に想像できた。


水が塚PAで休憩・記念撮影後に、時間が早かったので今度は御殿場を抜けて、長尾峠&乙女峠を走ることにした。

水が塚PAを出て、富士山スカイラインの下りで、ハプニングが発生した。
私の前をさりげなく走っていたFXSTCのえれっくが右コーナーで突如コースアウトし、道端のダートで突っ込んでしまった。
「逝ったな」
後ろで見ていた私は、ポケットのカメラを探した。
しかし、彼は必死にハンドル操作し、倒れずに持ちこたえて停めた。
神業である。
昨年のOFFROAD BIKE GAMESへの出場が、ダートでのハンドル捌きをマスターさせていたのだ。
大事には至らなかったので、安心して先に行った。
しかし心の中では、
「特ダネをひとつ損したゼ」
後で見ると、バイクも底には土と草がテンコ盛りになっていたのでそれだけは撮影しておいた。

長尾峠〜乙女峠コースを終えて、集まってみると3名が行方不明になっていた。
携帯電話でも連絡がつかないので、一部のメンバーを残し、一行は足柄SAで待つことにした。
ジェントルマン豊田・100周年の白スポさん・腰痛番長の師匠の3名が行方不明者として公示されたが、続々と集まったメンバーをカウントしたM2カズは不思議なことを言い出した。
「もう一名足りません。」
「朝カウントしたときには30名居て、温泉組の2名を引いても28台です。
判明している行方不明者3名を足しても1名足りません。」
「誰だ あと1名って?」
来るはずがドタキャンしたマッツーをカウントしてるんじゃないの?
とか、大御所の木村さんだ。とかいろいろともっともな意見が出たが、
結局は、カズは自分が肩に乗せてきたある種の霊を最初にカウントしていたのである。
実在のライダーはトータルで29名だったのだ。
するとそこへ、行方不明者のうちジェントルマンと100周年白スポの2名が生還した。

さらに驚いたのは、朝「道の駅なるさわ」で分かれた温泉組も現れた。
さすがベテランライダーは鼻が効くのである。

残る1名、昔はKAWASAKIのマッハでブイブイ言わせていたという腰痛番長の師匠は戻ってこなかった。

 

最後の集合場所の海老名SAへ向かう途中は事故渋滞だった。
秦野中井付近で大型トラックが横転していて、みかんをばら撒いていた。
海老名に到着したときは、まだ陽が高かったが、融雪剤で塩まみれになった愛車を洗いたがるメンバーが大多数だったので、早めに解散した。

ちょっと走り足りない一部のメンバーは生麦の「しんぼり」に集まって、アルコールで帳尻を合わせていた。

このとき、突然参加したアポロン様の愛娘「ミーレイ・ダビッドソン」(若干11ヶ月)は、マッツー・チョウナン君・カズっち・梅ちゃんには懐いていたが、私の顔を見ると泣き出していた。
純粋で小さな天使には、速いライダーだけが持つ「ある種の殺気」には馴染めなかったようだ。


写真集(腰痛番長撮影)



写真集2(kくれ〜じ撮影) ※これは重いぞ! 要注意!