会津・東山温泉

2002年9月15日-16日

毎年恒例の一泊ツーリング。
今年は会津の東山温泉となった。
プレインチームは土曜日からの出発で岩手・花巻で一泊し、翌日にこの東山温泉で一国チームと合流して宴会をするという企画で、腰痛番長の「仕切り」で執り行なわれた。
旅立つにあたり、BUELLを手放してショベルに変更したマッツーが今回の一国ツーリング実行委員会から「長旅ご法度」を申し付けられてハスクバーナで行く予定だったが、それではあまりにも気の毒なので、私の秘蔵レーサー「Mazyora号」を貸してあげることにした。
私は、アオキ氏のFXDXでの参加となった。

このたび、マジョーラ号のダブルディスク&PMキャリパーをFXDXへ移植し、マジョーラ号にはBERINGER6ポット&アエロナルローターをシングルで装着した。
まだ、あたりが出てないので、今回マッツーへ貸す事で、慣らしを仕上げようという思惑もあった。

今回の一国チームのツーリングマスターはご存知アポロン様。
念入りにコースチェックと行程表を作成しての万全のはずだった、、、。
8時に東北道蓮田SAへ集合してみると、先週「最終送別会」をやったはずのタマル氏の姿があった。
「なんだよ まだ居るのかヨ」とささやく声が聞かれたが、彼は前日に石川県から走って横浜に入り、この日を迎えていた。
その気合を考えると、徳島のチョウナン君や静岡のモッツーに爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいくらいだ。
それほど、タマル氏は気合が入っている。
これで、年末の一泊ツーリングに参加するとなると、一部からは「何も変わっちゃいね〜じゃね〜か」
という意見が飛び出すことだろう。

そして我々は次の休憩地点である上河内SA目指して出発した。

高速走行はいつものように、アポロン様が飛び出し、それをMazyora、タマル氏が追いかける展開である。
それに今回はBUELL M2(クローチ)のカズッチが参加して常に背後の位置をキープしていた。
カズッチは、はじめて見るタマル氏やアポロン様の走行スタイルに股間を膨らませながらの追走となった。
和気藹々と走行しているとそこに一台の黒いマシンが静かに近づいて来た。
そのマシンをバックミラーから見て、「スクーター?」と思い、まさかスクーターに抜かれる訳にはいかないのでアクセルを開けると、その黒い物体は「シュインッ」と一気に私を抜き去って行った。
その後姿を見るとそれはまさにVFR800のモンブラン平原だった。(=新ネーム・・・理由は後ほど)
そのあまりにも危なげな高速走行に対して師匠のタマル氏は上巧緻SAでの休憩時に厳しく嗜めた。
「おまえさぁ〜 :pfjbhヴぁ:絵fbへr9yb:@B@絵r9羽 」
その説教は5分に及んだ。
後輩思いのタマル氏のやさしさから来る愛のムチである。

その重い雰囲気を和らげたのがプレインの大御所K氏である。
氏は何故かBAJAで参加しており、このSAへ到着し、バイクから下りようとした時に、荷物フックにズボンの裾を引っ掛けて転倒してしまった。ここで最初の大爆笑が起こった。
昔にもステップにズボンの裾を引っ掛けてBUELLで立ちゴケしたことがある。
昔の話をするときりが無いので、後日「The KIMURA」を特集しようと思っています。

上河内SAから数キロ先にある矢板ICで下りた。
ここから、不気味な峠を越えて会津西街道で会津まで向かうという計画だった。

この矢板ICを出る時は、アポロン様をはじめみんな元気だったが、、、、

この不気味な峠道というのが、細くて、湿っていて、葉っぱが散らばっていて、、、、
とにかくコースとしては良くなかった。
まるで、秦野中井付近にある、ヤビツ峠のような雰囲気のコースだった。
以前は、ツーリングが決定すると、必ず「下見ツーリング」は行なっていたが、最近は一国首脳部には結婚・出産・転勤・家庭不和などが重なり、それを実行できる状況には無かった。
本来であれば、一国青年部(マシンガン宮島・マッツー・カズッチ・モンブラン平原)あたりが、それをやってくれると助かるのだが、、、。

途中で休憩した時には、あまりにも気温が低く、お約束の消化訓練が一斉に行なわれた。

会津西街道に入り、ツーリングマップルに乗っている「手打ち そば屋」(味がイマイチなので店名カットです)で昼食となった。
そば屋なのに、カツカレーをオーダーする風変わりな輩なども出現したが、結果的にはそれが正解だったのが悔しかった。

 

「塔のへつり」
という観光地に立ち寄った。
この場所は、数日前に「いい旅 いい気分」とかいう番組を見て、どうしても寄りたいと思いを寄せていたアポロン様の情熱によって実現した。
ただ走ることだけで無く、こういうのんびりした観光も息抜きにはいいものだ。
売店では生きている「赤マムシ」などが販売されており、この辺りでは有名な観光スポットらしく、大型バスなども数多く来ていた。

「塔のへつり」から会津・東山温泉までは20〜30km。
もう着いたも同然の地点でその事件は起きた。
まずは「若旦那のFLHTから何かが落ちた」
というヒラハラ氏の発言で15分ロス。(結果何も見つからなかった)
いよいよ出発かと思われたが、おにいさんの883のセルが回らないトラブル発生で修理に約15分
出発するまでに合計で30分のロスが生じた。
そして極めつけは、
無事出発し工事の為の特設信号の先頭で停まっていると、左後方の歩道で突然「ガシャン!」とバイクが倒れる音がした。
ここまで、存在感を薄めに保っていたビルズ君である。
驚いて、彼を見ると、「大変です。 ヒラハラ君がひっくり返ってしまいました。 だから、先には進まないでください。」
悲惨な表情でそう訴えていた。その表情から、大きな事件が起きたことを予感させた。
ビルズ君はそう訴えながら、倒れたスポスタを力ずくで起こした。
すると、特設信号が青になったので、他のメンバーを引き連れて先のコンビニで待機した。
「ひっくり返った?」
この言葉を理解するのに少しの時間が必要だった。
通常は「事故った」とか「コケた」とかはよく聞くが「ひっくり返った」という表現は珍しい。
間もなく若旦那と連絡が取れ、タマル氏とMazyoraの2名で来て下さいということだった。
「何事だ?」

ヒラハラ氏は路肩から数メートル下の栗林へ向かって落ちていた。(この時にモンブラン平原と命名)
納車から間もないピカピカのVFRは栗まみれいや泥まみれとなっていた。
数名がかりで何とか引き上げ、渋滞の車を時折停めながら、曲がったハンドルの修正を行なった。

 

 

幸いにして、大きな損傷は無く、ライダー本人も無事だったので、笑い話となったが、一歩間違えば大惨事になる可能性もある。
戻ってきたVFRとモンブラン平原はみんなの拍手で迎えられたが私は失望した。
なぜなら、彼は栗林に突っ込んでいったのに、栗を一つも拾ってこなかったからである。

この一件で、一番の被害者はビルズ君である。
先頭の我々に伝令として慌ててきた結果、バイクを倒してしまった。
その時に、おそらく膝が当たって、塗りたてのタンクが凹んでしまった。
数ヶ月前にあやまってヘルメットをタンクに落とし、再塗装したばかりのタンクである。
しかし、その凹み方が綺麗なので「一国系 エクボ2号」と名づけられた。
1号はご存知のアポロン様のローライダーである。
このネーミングが気に入ってくれれば、そのまま過ごすだろうが、そうでなければ何らかの処置をしなければならない。

 

 

宿へ到着したのは16:30である。
色々あったわりには、予定通りである。

プレインの方々も数十分後には到着し、無事合流を果たした。

19:00からは宴会の部である。

プレイン系のハガさん(周りからはゴルゴと呼ばれている)の司会で始まったが、開口一番「まずは、三浦さんの挨拶の前に、事件のお知らせがあります。」
と言った。
一国系の人々は「ヒラハラ君のモンブラン事件!?」
プレイン系は「マダムの下着盗まれ事件 イン 脱衣所 !?」
お互いに「それを言っちゃうの?」「こんなタイミングで?」
というような不思議な雰囲気となり、司会のハガさんは取りやめて、通常のプログラムに戻した。
M総監督の挨拶、一国の若旦那の乾杯の挨拶と進み、お約束のタマル氏による「すぎま風」が披露された。
「ねぇ〜 何で俺がいつも歌わなければならないの?」と愚痴をこぼしながらステージに上がると、
心はすっかり伊東の帝王。西湘の破壊屋などと色々な肩書きを持つスーパースター真澄ちゃんに変身していた。
※この後、「くちなしの花」も入れてよ〜 と本人からのリクエストがあったが、却下した。
最初の口火だけを切ってくれればそれで良いのである。しかし、本人は我慢できず、沢田研二の「勝手にしやがれ」をリクエストしたものの、オレンジKにいいところは奪われてしまった。

多くの人がステージで歌を披露した。
中でも、プレイン VS 一国のジェントルマン対決は見物だった。
豊田氏は「みちのく一人旅」
成田氏は「野風憎」
ここまではいい勝負で、第二ライダーならぬ第二シンガーでの勝負となった。
一国チームはローライダーの大橋さんが意表を付くチェッカーズでポイントを稼いだのに対し、プレインチームは大御所Kのバブルガムの「Won't be long」で笑いはとるものの、その不思議な異次元の雰囲気のため失格となり、結果一国チームの勝利となった。

色々な人がステージに上がったが、当サイトでは独自にアンケートをとった結果。
最優秀賞には、プレイン系のうなぎ屋Kこと小出氏が選ばれた。
彼は島津ゆたかの「ホテル」を替え歌にし熱唱して、会場の大喝采を浴びた。


AV(Aoyama Video)

今回のツーリングも模様は、アポロン様によってデジタルビデオに納められています。
このビデオの上映会を後日告知させていただきますのでお楽しみに、、、。

その上映会の模様もVIDEO撮影して、また上映会やったりして、、、。( ^ 0 ^ )/~~~~

   

宴会は総幹事・腰痛番長による締めの言葉そして副幹事・えれっくの三本締めで終了した。

モンブラン事件の当事者ヒラハラ氏は転倒の影響が徐々に出始めて、一人で立っていることが出来なくなっていた。

 

※勇気のある方はクリック

宴会後、セクシーショーを見ようと見るために、1Fに来て見ると、店があまりにも質素なので、変わりにオレンジKのセクシーショットを押さえることにした。
※生画像は一国ライブラリーに保存されます。ご希望の方には拡大版(壁紙仕様)もお譲り致します。
オレンジKは昨年末のツーリングに続いてのライブラリー入りを果たした。

 

 

 

 

翌日は朝から雨である。
それぞれが雨具を用意している時に事件は起きた。
大御所Kが持ってきた長靴の片方が奥さんのものだったらしく、左右のサイズが大幅に違っていた。
周りは大爆笑となった。(期待を裏切ることのない大御所Kは最高である)
これは、ミスではなくて仕込んでいるに違いないという意見もあるが、とにかく大爆笑だった。

 

大御所Kは早くから外に出て、BAJAにキックを食らわせていた。
20分ほど粘ったが、エンジンは掛からず、三浦総監督の手押しによる「押しがけ」でようやくエンジンに火を入れることが出来た。
三浦総監督が立ち去った後、またエンストし、「押しがけ」のために、坂から下っていく姿を私は目撃した。

宿を出発し、数キロのところに磐越道が走っている。いろいろとコースは検討されたが、雨の為、素直に磐越-東北道で帰ることとなった。磐越道・会津若松ICでは、タマル氏とのお別れの儀式が執り行なわれた。
涙を雨のせいにしながら、タマル氏は石川県を目指して去って行った。(行程約500kmを雨にも降られずに15:00には到着したらしい)
アポロン様の頭にも涙が光っていた。

 ※涙のお別れ

磐越道から那須高原SAまでの約100kmの道のりは、珍しく100〜110km/hでの連隊を組んだ状態での走行となった。
眠気防止のため、常に先頭のアポロン様の横に並んで走行した私の心の中ではBorn to be Wildが響いていた。
私がデニスホッパーだとすれば、アポロン様はテリーサバラスかユルブリンナーと言ったところだろうか、、。(出てねぇっちゅうの=自分突っ込みモード)

ここ那須高原SAではじめての集合写真を撮った。

会津若松ICから約100km地点の那須高原SAで休憩した。
すると、間もなく遅れて宿を出たプレイン軍団もやってきた。
FLTRに乗る総監督の姿は素敵に映った。(今となっては古いデジカメなので画像が悪かったのが残念)
これで、またFLTRを買ってしまう人が出てくるだろう。

 

 

ここから先は、大雨でカメラを出す気力も無くしてしまった。
次の佐野SAで休憩した時に痛感したことは、「狭い.com」ということだ。
次に休憩する時は回は、羽生PAかどこかにしよう。

蓮田SAはお約束の最後の集合地である。

ここからは自由に各々のペースで走るのだが、横浜方面は通常は葛西経由で湾岸を走るケースが多いが、私は向島・駒形派である。
途中、駒形PAで用をたして帰路に着いた。

 

 

 

17:00に家に到着し、風呂に入り、久々の家族団欒のひと時を迎えていた。
その時、どこからとも無く、「徴集警報が届いた」
無意識のまま車に乗り、気が付いた時にはニュートンに居た。
そして、8つの生ビールが運ばれてきて、夜は今日も更けていった。

 

終わり。

 

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