2002 TRANS ECHO
開催日:2002/5/6
天候:晴れ
コースコンディション:ドライ
場所:筑波サーキット
今回の最初のショットは「くれ〜じ」こと藤原氏の883のタンク。
不気味にステッカーチューンを施してあり、その中でも弾丸の跡シールが傑作だった。
(この弾痕が現実のものになるとはこのときは思いもしなかった)
前回の練習での転倒から急いで仕上げてきて本日の本番に臨む。
■SSC 883クラス予選
このクラスでは藤原選手(TEAM PLAIN)だけのエントリーとなる。
予選が始まるものの、元気の無い走りを見て、セッティング不充分の結果が明かに出ていた。
しかし、幸運なことに、他のライダー達もタイムを伸ばすことが出来なかった為、8位を獲得する。
8位と言えば2列目のイン側で好位置である。
予選の結果、14秒台と全然駄目! 慌ててセッティングを行う。
■SSC OPENクラス予選
OPENクラスの予選では、相変わらず先頭をキープするエレック斉藤氏を中心とするピット陣。
この功績は意外と効果がある。他の人よりも1周多く回れるからだ。
このクラスには、ゼッケン79腰痛番長こと関口選手(TEAM PLAIN=1200S)そして佐藤選手(一国Racing=Buell)、モッツー藤本(一国Racing=Buell X1 オレンジ・モス)がエントリーしていた。
関口選手は、長年愛用していたVance&Hines SSR-2からPLAIN製2本だしマフラー(PPC0055)に替えて初めてのレースである。
これまでの数回の練習走行では、吹けあがりの良さを実感しており、自己新記録の07秒台に照準を合わせてのチャレンジとなる。
バックストレートではこれまで以上にスピードが出るものの、その分最終コーナーへの侵入速度がこれまでと異なる為、運転上の微妙な調整が必要となる。それを確かめるように、無理をせず走行し予選12位を確保した。
佐藤選手はPLAIN黄金期のエースライダーで、クラスチャンピオンも獲得している実力者である。
しかし、4年のブランクは大きく、7秒台に乗せることが精一杯だった。
また、前回の走行会で一国SPECIALのエンジンが壊れた為、BUELL S1Wのノーマルエンジンを載せての本番となった。
S1Wは101馬力あるものの、一国SPECIALの推定120馬力と比較すると、その差は大きい。
確かにストレートでは伸びが無いように思えた。しかし、手堅くまとめ7位を確保する。
モッツー藤本選手は2〜3周目の最終コーナーで吹っ飛んでしまった。
アクセルを開けすぎてリアタイヤがスライドして転倒したらしい。(これではレポートしようが無い)
PITで応援する人たちはこの日最初のショックを受けた。
モッツーの転倒で、梅ちゃんが封印していた部品が納まっている「パンドラの箱」を開けて、オレンジ・モス号の修復を試みる。(出来れば開けたくない箱なのである)
あのバハ1000にスポスタのラリー仕様でチャレンジしている、有名な内藤氏も助太刀に訪れ、オレンジ・モスの修復を行い、何とか仕上げた。
余談だが、他のテントで見かけた、メーター周り。
小ぶりなスピードメーターが粋だった。(これはどこのメーカーの何と言う商品なんだろう?誰か教えてちょ!)
■SSC883決勝
今回は、浜崎あゆみ(仮名=27歳)がレースクイーンとなり、コース上で藤原氏に影を提供していた。
まさにレーサー冥利につきる瞬間である。
この甲斐あって、藤原選手はロケットスタートを決め、第一コーナーを3位で突っ込んでいった。
その後抜かれて4位になったが、前のライダーが転倒したため、3位に浮上。
後続との差があったため、このまま3位で行けそうな雰囲気満々だった。
電光掲示板の3位のところには「21」の文字が輝き、PITの人達は、期待に胸と股間を膨らませて「その時」を期待していた。
特に、藤原塾生のオレンジKことカワノ氏は飛び跳ねて踊り狂っていた。
エレック斉藤もサインボードを出す時に大きくうなづきながら、藤原氏にエールを送っていた。
それらをすべて感じ取った藤原氏は、俄然燃えたに違いない。
が、そのとき不幸が訪れた。
CX立ち上がりで転倒するところを、メインスタンドで観戦していた取材班は目撃してしまったのである。
オレンジと黒のツートンのツナギが転がっているのが確認された。
「やっちまった〜」
しかし、藤原氏は立ちあがり、再スタートをするような素振りを見せて断念した。
「怪我はなさそうだ」
PITで応援する人達は何が起きたかは知らずに盛り上がっているのが見えた。
複雑な心境だった。
同じくメインスタンドで観戦していたチャコさんも心配がって、テントへ引き返した。
しばらくすると、アナウンスでそのことが告げられると、PITでの乱舞がため息に変わった。
この日二度目のショックである。
熟生カワノ氏は目に涙を溜めて悔しがっていた。
最終コ−ナー出口で観戦していた関口氏の姿もすでに消えていた。
そうして、藤原選手の2002年の初戦は幕を閉じた。
「入賞した場合にはお座敷にご招待」
を約束していたがそれは残念(?)ながら流れた。(個人的に経済的にはうれしい結果なのかもしれない)
重い空気がテント内に流れていた。
本人は小指へ怪我をした程度で良かったが、ホワイトダイナマイト号はかなりの重症だった。
フロントフォークは微妙?。リアサスは曲がり、ステップは大きく削れ、何と行ってもシフターシャフトが折れ、しかも曲がっていた。フランクさんもそのシャフトを見て低い声でささやいた「シャフトだけなら、部品交換で済むが、リンク部分が心配だな〜」
NoNameのmmさん・クリスさん・和太さん・ジャイアンさん・ノリさん・GEMMIEさん達などNetで知り合った人たちもお見舞いに訪れた。
そして極めつけは、カミチュウさんが藤原氏に言った一言だった。
「ここでは転倒は禁止だっていつも言ってるだろう」
藤原選手は深い悲しみに包まれた。
一方、予選で転倒し、何とか修復できたモッツー藤本は、一人の世界に入っていた。
時には、タマル氏から指導を受けて、決勝レースに向けて準備を整えた。
モッツー藤本の盟友であるマッツー松永は寝ていた。
SSC OPENのウォームアップが始まる。
■SSC OPEN決勝
ここでも、信じられないことが起こった。
生まれ変わったブルーダイナマイトを駆る関口選手が3周くらいで突然の爆発音とともにペースダウンしてしまった。
やはり、メインスタンドで観戦していた取材班の前で、「ボンッ!!」と黒煙を上げて、第一コーナー手前で手を挙げてペースダウンの合図をし、曲がりきったところでコースアウト、そのままリタイヤとなった。
良い感触で走行してただけにショックは大きい。
PITで応援していた人たちは三度目ショックを味わった。
原因は「?」という¥790ほどのちっぽけな部品の故障だった。
(後日セキヤン本人から公式声明が発表されるので、期待していただきたい)
以前奥川選手などは、これが原因で優勝を逃したことがあるとも聞いた。
不可抗力である。不運としか良いようが無い。
モッツーは何とか完走し13位。
(13位は下から3番目で狙っていたブービー賞を逃した)
一国Racing + BSMCからエントリーの佐藤選手も完走したものの7位と入賞を逃した。
やはり4年のブランクは大きい。
三浦名誉監督曰く「いくら遅い非力なバイクでも、それを早く走られるのが真のレーサーである」
という言葉を聞くと、マシンのせいにはできないのがレーサーの宿命らしい。
HUGE1クラスではおなじみ豊田選手の友人がCBRで参戦したものの、こちらも7位と入賞を逃した。
今回のレースは全員が不完全燃焼の感がぬぐえない。
しかし、レース後の港北・ニュートンでの宴会は盛り上がった。
店を終えて合流した三浦総監督が悲惨な結果のレーサー達全員に2軍宣告が行われた。
そもそも2軍だった一国レーシングのレーサーは3軍へ格下げとなった。
宴会後、三浦総監督に「近々マシンを持っていきます。」
というと、三浦総監督は「しばらくはそんなマシンは見たくないので、持って来る必要なし!」
ときつく言い渡していた。(さらに藤原選手は落ち込んだ)
メカニカルトラブルの関口選手に対しては
「♪ 明日がある〜 明日がある〜」
と首を左右に振りながら歌って励ましていた。
この借りは11月のレースで晴らしてくれることを期待します。
レーサーの方々、そして応援の方々お疲れ様でした。
■今日のおまけ
筑波からの帰り道に宮島隊員が覆面パトに捕まってしまった。
東京から横浜方面に向う高速道路では80km/hが制限速度らしい。
あの羽田空港からベイブリッジに向うあの広い直線道路が80km/hなのである。
覆面パトの絶好の活躍のロケーションとなっている。
是非、安全運転を心がけたい。
■特別寄稿
レーサーが自分で綴るレース顛末記